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常識を打ち破るブログ

いかなるコンディションであっても
それは状況の一つでしかない。
どんな状況であっても。
負けたら負けなのである。
人生はスポーツじゃない。
真剣勝負だ。
言い訳したらその時点で負けだよ。

ワシ、カバンはポケット配置とか、使いやすさ最重視。

よく、ブランドとかの良いカバン持てって言われたけど、

頑なにPCバッグ使い続けてた。

10年前くらいはちゃんとしたビジネスマンはそれなりのカバン持ってるのが当たり前んだったなぁ。

IT屋なはオタクみたいカバン持って、そんでもとんでもない金持ち居た。

ワシどっちかーってーと、、、ていうかガチIT屋系なんだけど、

付き合いがハイソな方が多いっていう、変なパラドックスにいた。

その頃の超絶お気に入りが980円のカバン。

見た目はそんな悪くなく、普通のPCバッグ。

しかしハイソな方々には「何やねんそれ!」(笑)

そしてまたしかし、980円故に一月くらいでアチコとほころぶ。

それでもマタ同じのを買うくらい気に入ってた。

多分10回以上同じのを買った。

一応PCバッグは数点もっていて、当時から今も使っている

アルファーインダストリーズの2万超える、空で2キロ超える、

どでかいバッグも、当時から持っていたが、デカすぎて、

普段使いはしていなかった。

普段使っているの980円のバッグ(笑)

廃盤になってもう売ってないので買えなくなって仕方無しに別のつかってる。

でもあれより良い仕切りのバッグが未だ無いんだよなぁ。

しかし時代がワシに追いついてきて(笑)

ビジネスマンもPCバッグ普通に使うようになったよね。

使いやすさは絶対PCバッグだ。

【ひろゆきvs田原総一朗】闘争か逃亡か?失われた30年の断罪
メチャクチャだなぁ。
この程度で地上波ずっと出てたんだも日本オカシクなるよな。
自分の自慢と空想語るのみで、知識は乏しい。
間違えを指摘されても絶対認めない。
田原総一朗みたいな奴って多いよな。

自分に不利益な判断をしない程度には賢くなって欲しい。

騒いで自分の首絞めてるやつ多すぎる。

楽して良い思いできるかいって。

分岐点があったら苦労する方選ぶんだよ。

自由と堕落は意味が違う。

起業する自由、
勉強する自由、
職業選んで就職する自由、、、

それがない国があるんだよ。

人の迷惑顧みず、好き勝手やる事を自由とは言わない。

〇〇の権利と称して楽させろって主張に、異常な違和感が有るのがこれだよ。

楽するって事は誰か苦労するんだ。
そんな権利認められるわけがない。

なんで勝手に自分の判断で自分を価値あるって言う奴いるんだろなぁ。
見てて痛々しい。
能力があるは絶対値で測れるけど、価値って判断する他人だし。
いうたら、能力あるのに迷惑な奴なんか沢山いる。
個人主義も行き過ぎたなぁ。
言うてワシら技術者って他人の評価でなく絶対価値観的、世の中のスタンダードと戦って新しいスタンダードを開拓したりするんだけど、、、
まぁ、変人多いです。、
ワシもだけど。

文章は、その人そのものだ

「文体はその人の思考そのものである」——これは19世紀のフランスの博物学者ビュフォンの言葉だが、SNS全盛の現代において、これ以上に正確な観察はないかもしれない。

近年、AIや言語研究の分野では、文章から書き手の知能レベルや思考構造を推定する手法が実用化されつつある。語彙の多様性、文の構造の複雑さ、論理の接続方式、反論への耐性——これらは数値化・定量化が可能であることが示されている。

しかし、そんな分析ツールがなくても、人が書いた文章を読めば、その人の知性の輪郭はほぼ見える

これは残酷なことでも、エリート主義でもない。ただの事実だ。


「吠え散らかし」が晒すもの

SNSには日々、怒りに満ちた投稿が溢れる。政治、経済、有名人、他者の生き方——あらゆるものへの罵倒が、スクロールの中に流れていく。

問題は、その多くが反論を想定していないことだ。

論理の飛躍、根拠の欠如、感情的な断定。書き手本人は「真実を言っている」と思っているが、読む側には別のものが見えている。怒りの強さではなく、思考の粗さが。

古代ギリシャの哲学者ソクラテスはこう言った。

「自分が何も知らないことを知っている——それだけが、私が他者より少し賢い点だ」

無知の自覚こそが、知性の出発点である。「吠え散らかし」が醜態なのは、その自覚がないからだ。


「いいね」が集まる場所の正体

もし自分が荒れた投稿をして、たくさんの「いいね」をもらったとしよう。

それは成功だろうか?

アルゴリズムは感情的反応を最大化するように設計されている。 怒り、嫌悪、恐怖——これらはエンゲージメントを高める。Facebookの元社員による内部告発でも明らかになったように、プラットフォームは「良質なコンテンツ」ではなく「反応されるコンテンツ」を拡散する。

つまり、感情的な「吠え散らかし」に「いいね」が集まるのは、それが優れているからではない。それに反応する層が存在するからだ。

そしてその層は何者か。

同じ感情回路を持ち、同じ思考パターンで動き、批判的な検討をせずに「わかる!」と押す——そういった人々だ。

カスの頂点に立ったところで、何ひとつ恵まれない。

これは冷笑ではなく、構造的な事実だ。自分より賢い人間は「いいね」を押さない。スルーするか、静かに離れていく。残るのは似た者だけ。こうしてエコーチェンバー(反響室)が完成する。


エコーチェンバーが奪うもの

心理学には「ダニング=クルーガー効果」という現象がある。

能力が低い人ほど、自分の能力を過大評価する傾向があるというものだ。なぜなら、能力が低いということは、自分の誤りを認識するメタ認知能力も低いことを意味するからだ。

エコーチェンバーは、この効果を加速させる。

  • 批判がない → 自分は正しいと錯覚する
  • 共感だけが集まる → 確証バイアスが強化される
  • 反論が届かない → 思考が洗練されない

結果として、本来なら「自分の誤りに気づく機会」が、根こそぎ奪われる。

自己改善の機会を失うだけ。

この一文の重さを、若い世代にこそ理解してほしい。


批判は「敵」ではなく「鏡」だ

反論や批判を受けると、防衛本能が働く。感情的に言い返したくなる。それは自然な反応だ。

しかし一度立ち止まって、こう問うてみてほしい。

「この批判の中に、自分が見えていなかったものはあるか?」

批判を「攻撃」として受け取るか、「情報」として受け取るかで、その後の成長速度は決定的に変わる。

偉大な業績を残した人々の多くは、厳しい批判と向き合い続けた人たちだ。ダーウィンは『種の起源』を発表する前に20年以上かけて反論を検討し続けた。アインシュタインは相対性理論への批判に対して、怒るのではなく論理で応じた。

賢い人は批判を嫌がらない。むしろ、批判のない環境を恐れる。


実践:知性を可視化させない投稿のために

以下は、SNSで発信する際に若者が意識すべき問いかけだ。

投稿前のチェックリスト

  1. 根拠はあるか? — 「〜だと思う」と「〜という調査がある」は全く異なる
  2. 反論を想定したか? — 自分と反対の意見を持つ人はどう反論するか
  3. 感情が主語になっていないか? — 怒りは判断を曇らせる
  4. この投稿は1年後に恥ずかしくないか? — 感情的投稿の多くは数日で後悔される
  5. 「いいね」の数より、誰に届くかを考えているか?

結語:フィードバックループを自分で設計する

人は自分より賢い人間との対話によってのみ、本当の意味で成長できる。

「いいね」を集める快楽は、ドーパミンの刹那的な放出に過ぎない。しかし、鋭い批判と真剣に向き合った後の「気づき」は、神経回路を永続的に書き換える。

どちらを選ぶかは、あなた自身が決めることだ。

しかし知っておくほうがいい。

賢い人間は、あなたの「いいね」の数など見ていない。あなたが何を読み、何を考え、どう変わり続けているかを見ている。

そして最終的に、人生で実質的な価値を生み出すのは、後者の積み重ねだ。


「無知は恥ではない。無知に気づかないことが恥だ」——ベンジャミン・フランクリン

昔は、俺の言ったことやらない奴にはめちゃくちゃシバいてやらせた。

一応、やったやつは一流になった。

時代のせいか、歳のせいか、、、

言ってやらない奴はあまり厳しく言わない。

平和だねぇ。

でも平和って人をボケさせるよね。

年季のせいか、、、

スペシャリストが周りに集ってる。

やる気のある奴らとテキトー(一般的には全開)でやってる方が気楽でいい。

厳しいハードルがある方が燃える人種っているんだよね。

そいつらだけが超一流になる。

素人が超一流に振り回されると怪我する。

偏差値が高い

偏差値が高いってのはレアだって事でしかないよな。
勉強っていうカテゴリーでレアに獲得点数が高いってだけ。
それだけで人として優れているってわけじゃなよな。
人としての評価値は多くあり、多方面に能力が高くないと、評価に値しない事が多いと思う。

客観視

人間物事に自分が関わると冷静な判断が出来なくなるものです。
その冷静でなくなる事は自分が自覚するよりとても大きな影響があるように思います。
飲酒運転も同じように自覚の少ない例ですが、例えばドクターの場合身内を手術することは絶対にしないそうです。というのもやはり身内となると冷静でいれなくなるとか。
手術をしない一般人には「そこまで?」と思ってしまう事かも知れませんね。

自分が関わると予想を超えて自分を見失っているようです。
喧嘩の仲裁にしてもしかり。他人ごとなら公平なジャッジができるものの、自分か利害の中に入ると冷静ではいないはずです。
株や為替のトレーダーしかり。他人の取引には冷静なアドバイスが出来るのですが、自分の資金を動かしているとどうしてもしくじるもの。

聞くに年収2000万までは普通の人で達成出来るそうです。それを超える年収を誇る人は「自己洗脳」の出来る人。幽体離脱したように自分を客観視する事の出来る人がなれる事だとか。自分を外から客観的にみて公平なジャッジの元判断出来る技って身につけたいものです。例えて言うなら身内を手術出来るドクターでしょうか?
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たまにワシをシツコイと言う奴がいる。
いやいや、
ワシイラチだし、捕まえてぶん殴るのが一番好き。
でもそうも行かない昨今。
法的措置って要するに年単位かかるもの。
それをシツコイと言われましても、、、

結果を得るために、話し合えないコミュニケーション力の低さ。
間違えたときに認められない肚の括りの無さ。
一時我慢しなければ実りを得ることが出来ないと知らない、経験してない浅はかさ。

間違えている事を間違えていると認識せず自我で押し通している人が増えすぎている。

こういったものが世をおかしくしている。
そして、楽をして自分の首を絞める結果に至っている。

基本的に幼少教育が大きな影響を与えると考えているが、
基礎教育と親権者による正しい強制力の発動が薄い。

感情論でなく、世の理としての善悪に関して、正しく方向を見出していかねくては、世が崩壊しかねない。

嫌なこと全てから逃げていては、クズしか発生しない。
クズは人に迷惑をかけ、更には自分の首も締める。

駄目なことは駄目と言える世の中にしなければならない。

世にはこれが正しいと言うことがある。
多様性などと言って少数の意見を標準化する事で多くの利益が失われる。

社会を構成しその福利を享受しながら生きていく現代に置いて、大多数側の利益は重要である。

話し合い、落とし所を付ける。
ソレこそが大事とおもう。

不勉強な我慢を知らないものの、浅はかな思考とワガママに付き合う事に、一部の理も見いだせない。

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