モラハラとか漠然とした女子専用無敵ワード使うやつ要注意。
ワシの元嫁もこんなん。
モラハラって言うけど具体的に何ってなくて、言ってる内容全部嘘。
アホな喧嘩自慢って、そこそこボコボコにして力の差見せつけるとリアルに負け認めて自分を改める事も多い。
これがさ、法的争いになった時。
後が無いほどボコボコにされても、まだ強がるやつが多すぎる。
最終的に、リアル喧嘩でいうと殺すレベルまで持っていかざるを得なくなる。
気づいたときにはもう後がなく人生終了レベルまで追い込まれてる。
そこまでやってしまうと、法に則って処罰されるので、俺でも止められなくなる。
やっぱり法律で論理上危機になっても人は気づけ無い。
ぶん殴るほうが簡単に危機を感じさせられる。
なんでこんな時代になったかね?
時間は誰でも等しく24時間である。
これは正しくて正しくない。
俺は一体何を言っているのだろう。
実は時間は伸び縮みする。
100年近く前に発表された相対性理論で証明されている事である。
といってもあまり実感が沸かないと思うので、相対性理論発見のエピソードを一つ。
英雄色を好むと言いましょうか、アインシュタインも色を好んだようです。
好きな人と居るとあっという間に時間が過ぎてしまう、、、これは時間が縮んでいるに違いない!!
とまぁ多少私なりの解釈はあるものの、大方こういった経緯で思いつきそれを証明してしまったのが
相対性理論の始まりのようです。
何を言いたいかと言うと、時間が伸び縮みしている感覚を誰しも味わっているのではないかと言うことです。
その感覚は正解で実際に時間は伸び縮みしているのです。
それでは都合の良いように時間を伸び縮みさせてイージーな人生と仕事をやろうじゃないかと私は発しています。
仕事では先ず片づけ整理をすると仕事の流れが早くなり、相対的に時間が伸びます
効率化以上の効果をだし、本当に時間が伸びていると言った実感を得られるでしょう。
片付けはデスクだけでなくワークフローもそうで、この片付け整理の時間を日々少し取る事に効果があると思います。
整理整頓で早く良い仕事をしましょう。
相対性理論も応援してくれます。
寝てる時間が長いと成功が遠ざかる気がする。
成功者は睡眠時間が短い人が多いとおもう。
まず睡魔との戦いに勝利したい。
こんな短絡的ではないかも。
ヤル気が満ちてメンタルがあがり
眠気が来ない状態に持ち込む事が必要かな。
自分で自分をコントロール仕切ることが大切。
眠いとか、外的要因に左右されない事を身に着けたい。
「文体はその人の思考そのものである」——これは19世紀のフランスの博物学者ビュフォンの言葉だが、SNS全盛の現代において、これ以上に正確な観察はないかもしれない。
近年、AIや言語研究の分野では、文章から書き手の知能レベルや思考構造を推定する手法が実用化されつつある。語彙の多様性、文の構造の複雑さ、論理の接続方式、反論への耐性——これらは数値化・定量化が可能であることが示されている。
しかし、そんな分析ツールがなくても、人が書いた文章を読めば、その人の知性の輪郭はほぼ見える。
これは残酷なことでも、エリート主義でもない。ただの事実だ。
SNSには日々、怒りに満ちた投稿が溢れる。政治、経済、有名人、他者の生き方——あらゆるものへの罵倒が、スクロールの中に流れていく。
問題は、その多くが反論を想定していないことだ。
論理の飛躍、根拠の欠如、感情的な断定。書き手本人は「真実を言っている」と思っているが、読む側には別のものが見えている。怒りの強さではなく、思考の粗さが。
古代ギリシャの哲学者ソクラテスはこう言った。
「自分が何も知らないことを知っている——それだけが、私が他者より少し賢い点だ」
無知の自覚こそが、知性の出発点である。「吠え散らかし」が醜態なのは、その自覚がないからだ。
もし自分が荒れた投稿をして、たくさんの「いいね」をもらったとしよう。
それは成功だろうか?
アルゴリズムは感情的反応を最大化するように設計されている。 怒り、嫌悪、恐怖——これらはエンゲージメントを高める。Facebookの元社員による内部告発でも明らかになったように、プラットフォームは「良質なコンテンツ」ではなく「反応されるコンテンツ」を拡散する。
つまり、感情的な「吠え散らかし」に「いいね」が集まるのは、それが優れているからではない。それに反応する層が存在するからだ。
そしてその層は何者か。
同じ感情回路を持ち、同じ思考パターンで動き、批判的な検討をせずに「わかる!」と押す——そういった人々だ。
カスの頂点に立ったところで、何ひとつ恵まれない。
これは冷笑ではなく、構造的な事実だ。自分より賢い人間は「いいね」を押さない。スルーするか、静かに離れていく。残るのは似た者だけ。こうしてエコーチェンバー(反響室)が完成する。
心理学には「ダニング=クルーガー効果」という現象がある。
能力が低い人ほど、自分の能力を過大評価する傾向があるというものだ。なぜなら、能力が低いということは、自分の誤りを認識するメタ認知能力も低いことを意味するからだ。
エコーチェンバーは、この効果を加速させる。
結果として、本来なら「自分の誤りに気づく機会」が、根こそぎ奪われる。
自己改善の機会を失うだけ。
この一文の重さを、若い世代にこそ理解してほしい。
反論や批判を受けると、防衛本能が働く。感情的に言い返したくなる。それは自然な反応だ。
しかし一度立ち止まって、こう問うてみてほしい。
「この批判の中に、自分が見えていなかったものはあるか?」
批判を「攻撃」として受け取るか、「情報」として受け取るかで、その後の成長速度は決定的に変わる。
偉大な業績を残した人々の多くは、厳しい批判と向き合い続けた人たちだ。ダーウィンは『種の起源』を発表する前に20年以上かけて反論を検討し続けた。アインシュタインは相対性理論への批判に対して、怒るのではなく論理で応じた。
賢い人は批判を嫌がらない。むしろ、批判のない環境を恐れる。
以下は、SNSで発信する際に若者が意識すべき問いかけだ。
投稿前のチェックリスト
人は自分より賢い人間との対話によってのみ、本当の意味で成長できる。
「いいね」を集める快楽は、ドーパミンの刹那的な放出に過ぎない。しかし、鋭い批判と真剣に向き合った後の「気づき」は、神経回路を永続的に書き換える。
どちらを選ぶかは、あなた自身が決めることだ。
しかし知っておくほうがいい。
賢い人間は、あなたの「いいね」の数など見ていない。あなたが何を読み、何を考え、どう変わり続けているかを見ている。
そして最終的に、人生で実質的な価値を生み出すのは、後者の積み重ねだ。
「無知は恥ではない。無知に気づかないことが恥だ」——ベンジャミン・フランクリン
自分の敵は自分の中だな。
人と競っててもなぁ、
絡みついてくる奴がただうざい。
正面突破より、戦略と根回し。
不本意ながらそういう時代のようだ。
別にやれば出来る。
やれば出来るけど、、、(爆笑)
よくありがちな光景ですが、可愛い女性が褒められ必要以上に謙遜する姿。
仕事の能力のある人が評価され、これまた必要以上に謙遜する時。
自分がどのくらいのポジションに居るのか的確に捉えて欲しいと思う時です。
可愛い女性が「私ブスだから、、」と言うと時には皮肉に聞こえたり
違う一面から見ると引っ込み思案で「可愛い」事を積極的に活用していなかったりします。
能力のある人の謙遜もひとつ間違うと同じ穴にハマります。
日本は謙遜の文化がありますが優れているものは優れている、ですから積極的に活用するべきであると思います。
無駄に卑下してせっかくの能力を潰すことは社会全体にとってマイナスであると思う時があります。

情報が多くて、あれもこれもって心動かされる。
あの人良いな応援したい、
この人の功績たたえたい、、、
人により人は感化される。
しかし自分が出来ることは少ない。
自分はこの道って決めて、進もう。
あれもこれもやっていると、自身が結果にたどり着けないよ。