幸福になるには、まず人に何かを与えられる人になるべきだね。
実際世の中、なにか与えてもリターンがあるのは1割と言った所。
最悪なパターンとして与えるのを辞めると逆恨みされる事もある。
リターン薄くシクジルと恨まれる。
がしかし。
経済ってのは評価の中間状態として通貨を使っているだけであって、
基本誰かに与えた分貰えるって決まりになってる。
金だってバカに貸すと帰ってこない。
約束をしっかりしないと、いい人が利用されて損をする。
与える対象と方法をよく考えて、与えることから始めたいもんだ。
そして多く与えられる人になりたい。
プロフェッショナルってのがそうだが、
他の人がやるよりも早く良いものを仕上げられるようになる。
そうすると沢山与えられるので、沢山もらえるようになる。
幸福を得るのに、やりようによっては中間体の金はいらない。
まず早く多く与えられる自分になることが幸福の近道と思う。
ITならワシに任してくださいな。
一般的なプロの100倍は早い、、、片手間でも。
いかなるコンディションであっても
それは状況の一つでしかない。
どんな状況であっても。
負けたら負けなのである。
人生はスポーツじゃない。
真剣勝負だ。言い訳したらその時点で負けだよ。
最近民主主義限界論を見る事が増えた。
10年くらい前から自分も言ってる。
人それぞれ、民主主義が限界だから次どうするかってアプローチはは違うみたいだけど。
自分はバカは黙れを進めたい。
世の8割はバカ、、、ってパレートの法則もあるけど、
高度な問題を解決することに多数決は機能しないってのもある。
東大の入試、多数決で回答してたら何万年かかっても合格に達することは出来ない。
要するに一握りの知識層しか物事を好転させる方法を見つけ出せないんだよね。
世の8割はバカって言うけど、どうバカかって、
何かを得るための痛みを許容出来ない人が多い。
働きたくない、税金払いたくない、給料はたくさんよこせ、、、
って、破綻している要求するレベルのバカも少なくないし、
分かっちゃいるけど頑張れない、
太ってるけど運動できない、、、
頑張る方向を間違えている人も、ここで言うバカカテゴリー。
バカは黙れってスタンダードになれば、バカが政治に出てくることもなくなるだろうし、
実力が立場に影響すれば、有害な老害も既得権にとどまれなくなるはず。
何事も完璧な評価なんて出来ないものだけど、
かといってなにかのガイドラインを設けて動かないと方向性も出ないわけで、
人に対するスコアリングってやったほうが良いんじゃない?
差別と区別を声高に主張する人も多いし、自分も納得できるが、
人と人がよい社会を形成するため、区別はしたほうが良いと思う。
現実、頭の悪いやつの意見も世を動かす要素となるのは、
最終的に頭の悪いやつの不幸にもつながる。
頭の悪いやつは自己完結的に自分の行動で自分の首を絞めている事が多いが、
結果に悪影響を及ぼす意見と判断を、世の中全体に影響させてはイケないと思うのです。
情報過多の時代。
あれもこれも手を出すべきではないなぁ。
一芸に秀でるためには、一点集中。
食いかけだらけの未達ばかりだと、実りを得ず幸福になれないよねぇ。
嘘つきって絶対に自分の嘘を認めないよな。
自分の繋がってる人だけでも10人以上いる。
自分は生暖かく距離置いている。
仲間だからといって精査せず鵜呑みにするのは良くないなと思う。
嘘ばかり言ってるやつとは距離を置くことを勧める。
嘘単体は特に問題ない事が多い。
ただ、嘘を積み重ねてるその人と、それに付帯する環境は良くない。
良くない奴が自分の関連する環境に居ると、自身の人生にも影響を与える。
なんていうんだろう、、、
いつかそいつに足元すくわれるよ。
本を読んだりセミナーに行ったり勉強することは大いに良いことだと思います。
せっかく入力したのだから是非とも出力してもらいたいものです。
というか勉強してわかったつもりが、いざ人に伝えてみると伝えられなということは往々にしてある事。
実は分かったつもりが分かってないのです。
間違った知識を得てしまった時に出力していれば間違いに気づくものです。
話すなり文章にするなりして出力してみましょう。
色々な意味から勉強になるはずです。

「文体はその人の思考そのものである」——これは19世紀のフランスの博物学者ビュフォンの言葉だが、SNS全盛の現代において、これ以上に正確な観察はないかもしれない。
近年、AIや言語研究の分野では、文章から書き手の知能レベルや思考構造を推定する手法が実用化されつつある。語彙の多様性、文の構造の複雑さ、論理の接続方式、反論への耐性——これらは数値化・定量化が可能であることが示されている。
しかし、そんな分析ツールがなくても、人が書いた文章を読めば、その人の知性の輪郭はほぼ見える。
これは残酷なことでも、エリート主義でもない。ただの事実だ。
SNSには日々、怒りに満ちた投稿が溢れる。政治、経済、有名人、他者の生き方——あらゆるものへの罵倒が、スクロールの中に流れていく。
問題は、その多くが反論を想定していないことだ。
論理の飛躍、根拠の欠如、感情的な断定。書き手本人は「真実を言っている」と思っているが、読む側には別のものが見えている。怒りの強さではなく、思考の粗さが。
古代ギリシャの哲学者ソクラテスはこう言った。
「自分が何も知らないことを知っている——それだけが、私が他者より少し賢い点だ」
無知の自覚こそが、知性の出発点である。「吠え散らかし」が醜態なのは、その自覚がないからだ。
もし自分が荒れた投稿をして、たくさんの「いいね」をもらったとしよう。
それは成功だろうか?
アルゴリズムは感情的反応を最大化するように設計されている。 怒り、嫌悪、恐怖——これらはエンゲージメントを高める。Facebookの元社員による内部告発でも明らかになったように、プラットフォームは「良質なコンテンツ」ではなく「反応されるコンテンツ」を拡散する。
つまり、感情的な「吠え散らかし」に「いいね」が集まるのは、それが優れているからではない。それに反応する層が存在するからだ。
そしてその層は何者か。
同じ感情回路を持ち、同じ思考パターンで動き、批判的な検討をせずに「わかる!」と押す——そういった人々だ。
カスの頂点に立ったところで、何ひとつ恵まれない。
これは冷笑ではなく、構造的な事実だ。自分より賢い人間は「いいね」を押さない。スルーするか、静かに離れていく。残るのは似た者だけ。こうしてエコーチェンバー(反響室)が完成する。
心理学には「ダニング=クルーガー効果」という現象がある。
能力が低い人ほど、自分の能力を過大評価する傾向があるというものだ。なぜなら、能力が低いということは、自分の誤りを認識するメタ認知能力も低いことを意味するからだ。
エコーチェンバーは、この効果を加速させる。
結果として、本来なら「自分の誤りに気づく機会」が、根こそぎ奪われる。
自己改善の機会を失うだけ。
この一文の重さを、若い世代にこそ理解してほしい。
反論や批判を受けると、防衛本能が働く。感情的に言い返したくなる。それは自然な反応だ。
しかし一度立ち止まって、こう問うてみてほしい。
「この批判の中に、自分が見えていなかったものはあるか?」
批判を「攻撃」として受け取るか、「情報」として受け取るかで、その後の成長速度は決定的に変わる。
偉大な業績を残した人々の多くは、厳しい批判と向き合い続けた人たちだ。ダーウィンは『種の起源』を発表する前に20年以上かけて反論を検討し続けた。アインシュタインは相対性理論への批判に対して、怒るのではなく論理で応じた。
賢い人は批判を嫌がらない。むしろ、批判のない環境を恐れる。
以下は、SNSで発信する際に若者が意識すべき問いかけだ。
投稿前のチェックリスト
人は自分より賢い人間との対話によってのみ、本当の意味で成長できる。
「いいね」を集める快楽は、ドーパミンの刹那的な放出に過ぎない。しかし、鋭い批判と真剣に向き合った後の「気づき」は、神経回路を永続的に書き換える。
どちらを選ぶかは、あなた自身が決めることだ。
しかし知っておくほうがいい。
賢い人間は、あなたの「いいね」の数など見ていない。あなたが何を読み、何を考え、どう変わり続けているかを見ている。
そして最終的に、人生で実質的な価値を生み出すのは、後者の積み重ねだ。
「無知は恥ではない。無知に気づかないことが恥だ」——ベンジャミン・フランクリン